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日本はまだ捨てたものじゃない! 女子高生が百田尚樹批判(simatyan2のブログ)
http://www.asyura2.com/14/senkyo174/msg/839.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 11 月 21 日 19:00:05: igsppGRN/E9PQ

日本はまだ捨てたものじゃない! 女子高生が百田尚樹批判
http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-11955189164.html
2014-11-21 17:43:54NEW ! simatyan2のブログ


やしきたかじん妻のラブストーリーを捏造して書いた、「殉愛」という本
の書評欄が批判の嵐であったことは前にも書きました。


今度は彼「百田尚樹」の出世作「永遠の0」について、盈進高等学校
2年生の女子生徒が書いた感想文が、日本福祉大学2014年度の
第12回高校生福祉文化賞エッサイコンテストに入賞しました。


題名は「永遠に0」


これが非常に素晴らしい内容なので掲載したいと思います。


永遠にゼロ


盈進高等学校 二年 川上 明莉


多くが「感動した」と言う。私はすっきりしない。本のタイトルは
『永遠の0』。


「急降下の直前、三人の搭乗員は私に向かって笑顔で敬礼しました」


「彼らの笑顔はすがすがしいものでした。死にいく人間の顔とは思え


 ませんでした」


(『永遠の0』/百田尚樹/講談社文庫/2009年/85頁)。


私は瞬間的にその後のことを想像した。


極限の恐怖ってどんな感覚なのだろう。


遺体は無残で、海をさまよったのではないか。


敵艦にも死者がいただろうに。


家族や生き残った仲間はその死をどんな思いで受け止め、どのような
葛藤のなかで生活してきたのか・・・ だが、この本にはわずかな記述
しかない。


特攻隊員の遺書を三○編ほど読んだ。


圧倒的に両親や家族に心を寄せている。


「お父さん、お母さん、大変お世話になりました。


もう思い残すことはありません」


(『知覧特別攻撃隊』/村永薫編/ジャプランブックス/1989年/52頁)。


胸がつまり、涙があふれた。


ただ、本当にそうなのだろうかと、悩んだ。


「そんな時代だった」のである。


でも、「そんな時代にしてはならない」と私は思う。『永遠の0』。


「ゼロ」は、「絶対的」という意味であろうと、私は理解する。


すなわち、大日本帝国が誇った零戦の「ゼロ」に音を重ね、米軍戦艦
に「十死零生」(絶対に死ぬという意味)で体当たりした特攻隊の方々
の(絶対的な)無償の愛をテーマにしたのだと思う。


本はよく売れ、映画もヒットした。私はその状況と、ヘイトスピーチ
などの排外的社会現象や集団的自衛権をめぐる政治は無関係では
ないと思う。


現代社会は戦後六九年にして、凄惨な死を忘れ、単純で美しいものに
あこがれているのかもしれない。


であるなら、現在はもはや戦後ではなく、すでに「戦前」ではないだ
ろうか。


太平洋戦争におけるアジア各国への加害も含め、亡くなった尊い命の
犠牲の上に、私たちは平和憲法を手にし、現在の日常が成り立っている。


「戦争を永久に放棄する」。


私はこの永遠の誓いに勇気づけられ、誇りを感じる。しかし今、私たち
がこれを放棄するなら、あの尊い命の犠牲は「永遠にゼロ」となろう。
http://www.n-fukushi.ac.jp/50th/essay/2014/the_fourth_field/saiyusyusyo.html


これは百田尚樹「永遠の0」への痛烈な皮肉であり批判だと思います。


そして猛スピードで右傾化しつつある現代日本への警鐘でもあります。


とにかく今の日本は読売テレビの「たかじん」の番組を出発点とした
右翼思考の人物たち、安倍晋三、百田尚樹、元旧皇族竹田恒泰、
青山繁晴など、怪しい人物が入り乱れて今の日本を極右方向に導こう
として躍起になっています。


なにも愛国精神や右翼が全部悪いと言ってるんじゃないですよ。


日の丸や君が代が悪いと言ってるのでもないのです。


純粋な右翼ならともかく、この連中は偽右翼とも言うべき、日本人の
右傾化を利用して危険な状態に足を踏み入れさせて儲けようと企んで
いるから危険だと言っているのです。


偽右翼と暴力団、偽右翼と統一教会は繋がっているのです。


下の写真は安倍晋三の祖父、岸信介と統一教会の教祖文鮮明です。



こちらは先日逮捕された山口組金庫番、永本壹柱と安倍晋三が
統一教会とのつながりから議員会館で会っているところです。



前から何度も書いてますが、安倍晋三を推してる青山繁晴は近畿
大学の客員教授であり、その近畿大学の理事長は安倍内閣の世耕
弘成官房副長官なのです。


また世耕は電通とともにマスコミ対策とチーム世耕なる組織でネト
ウヨを操って世論誘導を行っているのです。


全てが金と権力で繋がった間柄なんですね。


だから今度の選挙こそ彼ら闇の組織に再び政権を任せてはダメな
のです。


しかし長年のテレビなどマスコミの影響で大衆は洗脳されて続け、
若者もネット掲示板などで洗脳され、希望は無くなったかのように
なってしまいました。


ただ冒頭の女子高生の入賞感想文を見て、世論に惑わされず、
しっかり自分の考えを主張する若者がいたことで、一筋の光を見た
ように思います。


05. 2014年11月21日 20:15:06 : pj0KXIvxBk
D通について言及していたので、以下、コメントする。

体制に批判的な意見・世論の湧き上がり、それもまだ芽が出かかった時点で、素早く火消し的意見や記事
がネットに現れるのか不思議でならなかったが、ソーシャルネットのビッグデータがしっかり監視・分析され、世論の
<適正化>の手段が体制側に伝授されている可能性が高いと疑いを深めている。D通系の某社が怪しい。

ネトウヨと呼ばれる人々は<自生>しているのではなく、自民が<植林>してきた<サクラ>の可能性すらあ
る。事実、私の友人関係でウヨ君は居ない。居るのはその名の通りネットの世界ばかりであり、ネットの伝播性や
匿名性を利用して世論を作為的に<適正化>していた節もある。そのカラクリにD通系の某社が関わっている
とみる。

自民党が政権に復帰したのは、安倍自身がリニューアルしたからでも、自民党が生まれ変わったわけでもない。
ネット社会の裏のカラクリを用いて、世論を捏造しているに他ならない。その意見が多数であるかに見せかけて
多数派同調バイアス(雰囲気)を誘っているに過ぎないのだ。選挙の争点外しなどこのカラクリを用いれば朝飯
前である。

ビッグデータは喧伝されるような企業のマーケティング活動(下流)だけの用途なのだろうか?もっと上流の思
想・信条にかかわる意識を読み取り、その上流を支配したい政治家や企業人にとって、何を仕掛ければ
彼らに都合の良い環境にできるのか指南する用も為すとすれば恐ろしいことである。

原発技術開発に将来を賭けるH社の傘下の情報システム某社が出資し、T大情報理工学部が技術協力をする
この某社の公開特許情報を調べてみると、表向きは単なる広告支援システムであるが、思想・信条の監視・
分析と<適正化>の手段の提供に用いることが可能な技術があることを知る。

その某社のHPには「風評監視」がサービス項目として挙がる。そして人々が<ホットできる社会>を実現する
ことがその会社の理念と書かれている。そのサービスと理念を以て体制順応型人間を大増産する社会を志向
していることは明白である。<ホット>の部分は個の多様な考えを縛り上げて同化・単一化を求める<絆>
と同義である。

多数の意見が多様性・独立性・分散性を持って存在して当然のネットに、<ホットすること>を意図的に求める
こと自体が、それらの属性と正反対のバイアスなのである。<和を以て貴しとなす>とばかりに、個を抹殺
し集団のマジョリティを創出し、長いものに巻かれろとばかりに付和雷同を促すことでもある。

インターネットを使った選挙活動の解禁は、インターネットなる媒体があたかも公正・中立・健全かの如くの前提である
が、もし上述の某社のような網が事前に張られており、特定の政党がその網を<適正化>の下で自在に手
繰り寄せることができたら、歪んだ次元になりかねない。<その場だけの多数の雰囲気>を創出すること
は簡単だからである。

自民の一年生議員がネット戦略に執心なのも頷ける。彼らはもう先輩議員のようなベタな選挙活動はしない。
彼らに都合する世論なるものをITを駆使し創出・流布すれば良いのである。多数派同調バイアス(雰囲気)を
巧妙に醸成すれば、その他大勢は付和雷同となることを知っているからである。

その意味で、ネットなる仮想空間を選挙システムに用いること自体、大きな過ちである。公開討論会のように、
衆目監視の中で正々堂々と意見を闘わせるべきであり、その目の届かないシステムを背景に備えたネットで駆け
引きするようなネット選挙を政治家が言い出した途端に胡散臭いと我々は思わなければならない。

すでに、googleで経験済だと思うが、一度軽く覗いただけのサイトのサービスや商品の情報が後から付いて
まわるあの薄気味悪い影法師。個人のネット上のアクティビティを勝手に記録している訳だが、当然、個人の思
想・信条・意見も記録。特定秘密保護法が罷り通る我が国。いつ影法師がそちらに付くかわかったもので
はない。

インターネットに依存せず、ノイズや工作によって攪乱されない新たな情報伝達手段を、我々はコミュニティー毎に構築
する必要があるのかもしれない。特定秘密保護法を良いとするこの国である。こうツィートすること自体が
すでにリスキーなのである。私自身、ネットに「さよなら」を言う日は近いかもしれない。