あなたは11.10.09より人目のお客さまです。


ようこそ、穂の国富士見!!!







(遺訓)
寄贈 四元義隆氏      敬天舎同人 山下憲男 転載

一 廟(びょう)堂(どう)に立ちて大政を為すは天道を行ふものなれば、些(ち)とも私を挟(はさ)みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操(と)り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能(よ)く其職に任(た)ふる人を挙げて政(せい)柄(へい)を執らしむるは、即ち天意也。夫れゆゑ真に賢人と認むる以上は直(ただち)に我が職を譲(ゆず)る程ならでは叶(かな)はぬものぞ。故に何程国家に勲(くん)労(ろう)有り共、其職に任(た)へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸(ほう)禄(ろく)を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるるに付、然らば尚書(○書経)仲(ちゅう)#(ぎ)之誥(こう)に「徳懋(さか)んなるは官を懋(さか)んにし、功懋(さか)んなるは賞を懋(さか)んにす」と之れ有り、徳と官と相(あい)配(はい)し、功と賞と相対するは此の義にて候ひしやと請(せい)問(もん)せしに、翁欣(きん)然(ぜん)として、其通りぞと申されき。 

(訳)政府にあって国のまつりことをするということは、天地自然の道を行なうことであるから、たとえわずかであっても私心をさしはさんではならない。
だからどんなことがあっても心を公平に堅く持ち、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実にたえることのできる人に政権をとらせることこそ天意すなわち神の心にかなうものである。だからほんとうに賢明で適任だと認める人がいたら、すぐにでも自分の職をゆずるくらいでなくてはいけない。
従ってどんなに国に功績があっても、その職務に不適任な人を官職を与えてほめるのはよくないことの第一である。
官職というものはその人をよく選んで、授けるべきで、功績のある人には俸給を与えて賞し、これを愛しおくのがよい、と翁が申されるので、それでは尚書(中国の最も古い経典、書経)仲#(き)(殷の湯王の賢相)の誥(こう)(官吏を任命する辞令書)の中に「徳の高いものには官位を上げ、功績の多いものには褒賞を厚くする」というのがありますが、徳と官職とを適切に配合し、功績と褒賞とがうまく対応するというのはこの意味でしょうかとたずねたところ、翁はたいへんよろこばれて、まったくその通りだと答えられた。


二 賢人百官を総(す)べ、政権一(いっ)途(と)に帰(き)し、一格(かく)の国体定制無ければ、縦(たと)令(い)人材を登用し言路を開き、衆説を容る共、取(しゅ)捨(しゃ)方向無く、事業雑(ざつ)駁(ばく)にして成功有るべからず。昨日出でし命令の、今日忽ち引き易(か)ふると云(いう)様(よう)なるも、皆統(とう)轄(かつ)する所一ならずして、施(し)政(せい)の方針一定せざるの致す所也。
 

(訳)賢人やたくさんの役人たちをひとつにまとめ、政権が一つの方針にすすみ、国がらが一つの体制にまとまらなければ、たとえりっぱな人を用い、上に対する進言の路を開いてやり、多くの人の考えをとり入れるにしても、どれを取り、どれを捨てるかにつき一定の方針がなく、あらゆる仕事はばらばらでとても成功どころではない。
昨日出された政府の命令が今日は早くも変更になるというようなのも皆、統一するところが一つでなく政治の方針がきまっていないからである。 


三 政(まつりごと)の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの三つに在り。其他百般の事務は皆此の三つの物を助くるの具(ぐ)也。此の三つの物の中に於て、時に従ひ勢(いきおい)に因り、施(し)行(かう)先後の順序は有れど、此の三つの物を後にして他を先にするは更に無し。

 

(訳)政治の根本は学問をさかんにして教育を興し、軍備をととのえて国の自衛を強化し、農業を奨励して生活を安定させるという三つにつきる。
その他いろいろの事がらは、みなこの三つのものを助長するための手段である。
この三つのものの中で、時代により、あるいは時のなりゆきによってどれを先にし、どれを後にするかの順序はあろうが、この三つのものをあと回しにして他の政策を先にするというようなことが決してあってはならない。 


四 万民の上に位する者、己れを慎み、品行を正しくし、驕(きょう)奢(しゃ)を戒(いまし)め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下(か)民(みん)其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。然るに草(そう)創(そう)始(はじめ)に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美(び)妾(しょう)を抱へ、蓄(ちく)財(ざい)を謀(はか)りなば、維新の功業は遂げられ間(ま)敷(じき)也。今と成りては、戊(ぼ)辰(しん)の義戦も偏(ひと)へに私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目無きぞとて、頻(しき)りに涙を催されける。

 

(訳)多くの国民の上に立つ者(施政の任にある者)は、いつも自分の心をつつしみ、身の行いを正しくし、おごりやぜいたくをいましめ、むだをはぶきつつましくすることにつとめ、仕事に励んで人々の手本となり、一般国民がその仕事ぶりや生活を気の毒に思うくらいにならなければ政府の命令は行われにくいものである。
しかしながら今、維新創業の時というのに、家をぜいたくにし、衣服をきらびやかにかざり、きれいな妾をかこい、自分一身の財産を蓄えることばかりをあれこれと思案するならば、維新のほんとうの成果を全うすることはできないであろう。
今となっては戊辰の正義の戦いもひとえに私利私欲をこやす結果となり、国に対し、また戦死者に対して面目ないことだと言ってしきりに涙を流された。 


五 或る時「幾暦(二)辛酸(一)志始堅。丈夫玉砕愧(二)甎全(○一)一家遺事人知否。不(下)為(二)児孫(一)買(中)美田(上)。」との七絶を示されて、若(も)し此の言に違ひなば、西郷は言行反したりとて見限られよと申されける。 

(訳)ある時「幾(いく)たびか辛(しん)酸(さん)を歴(へ)て志始めて堅し。丈夫玉(ぎょく)砕(さい)甎(せん)全(ぜん)を恥ず。一家の遺(い)事(じ)人知るや否や。児(じ)孫(そん)の為に美田を買わず」
(人の志というものは幾度も幾度もつらいことや苦しいめに遭(あ)って後はじめて固く定まるものである。真の男子たる者は玉となって砕けることを本懐とし、志をまげて瓦となっていたずらに生き長らえることを恥とする。
それについて自分がわが家に残しおくべき訓(おしえ)としていることがあるが、世間の人はそれを知っているであろうか。それは子孫のために良い田を買わない、すなわち財産をのこさないということだ。)という七言絶句の漢詩を示されて、もしこの言葉に違うようなことがあったら、西郷は言うことと実行することと反していると言って見限りたまえと言われた。


六 人材を採用するに、君子小人の弁(べん)酷(こく)に過ぐる時は却(かへっ)て害を引起すもの也。其故は開(かい)闢(びゃく)以来世上一般十に七八は小人なれば、能く小人の情を察し、其長所を取り之を小職に用ひ、其材芸を尽さしむる也。東湖先生申されしは「小人程才芸有りて用便なれば、用ひざればならぬもの也。さりとて長官に居(す)ゑ重職を授くれば、必ず邦家を覆(くつがえ)すものゆゑ、決して上には立てられぬものぞ」と也。 

(訳)人材を採用するにあたって、君子(徳行の備わった人)と小人(人格の低いつまらない人)との区別をきびしくし過ぎるときは、かえってわざわいを引起すものである。
その理由は天地がはじまって以来、世の中で十人のうち七、八人までは小人であるから、よくこのような小人の心情を思いはかってその長所をとり、これを下役に用い、その才能や技芸を十分発揮させるのがよい。
藤田東湖先生はこう申されている。「小人は才能と技芸があって用いるに便利なものであるからぜひ用いて仕事をさせなければならないものである。だからといって、これを上役にすえ、重要な職務につかせると、必ず国をくつがえすような事になりかねないから、決して上に立ててはならないものだ。」と。 


七 事大小と無く、正道を踏(ふ)み至誠を推し、一時の詐(さ)謀(ぼう)を用ふ可からず。人多くは事の指(さし)支(つか)ふる時に臨み、作(さ)略(りゃく)を用ひて一(いっ)旦(たん)其の指支を通せば、跡は時(じ)宜(ぎ)次第工夫の出来る様に思へ共、作略の煩(わずら)ひ屹(きっ)度(と)生じ、事必ず敗るるものぞ。正道を以て之を行へば、目前には迂(う)遠(えん)なる様なれ共、先きに行けば成功は早きもの也。

 

(訳)どんな大きい事でもまたどんな小さい事でも、いつも正しい道をふみ、真心をつくし、決していつわりのはかりごとを用いてはならない。
人は多くの場合、ある事にさしつかえができると何か計略を使って一度そのさしつかえをおし通せば、あとは時に応じて何とかいいくふうができるかのように思うが、計略したための心配事がきっと出てきて、その事は必ず失敗するにきまっている。
正しい道をふんで行うことは目の前では回り道をしているようであるが、先に行けばかえって成功は早いものである。


八 広く各国の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我国の本体を居(す)ゑ風教を張り然して後徐(しづ)かに彼の長所を斟(しん)酌(しゃく)するものぞ。否(しか)らずして猥(みだ)りに彼れに倣(なら)ひなば、国体は衰(すい)頽(たい)し、風教は萎(い)靡(び)して匡(きょう)救(きゅう)す可らず、後に彼の制を受くるに至らんとす。 

(訳)広く諸外国の制度を取り入れ、文明開化をめざして進もうと思うならば、まずわが国の本体をよくわきまえ、風俗教化の作興につとめ、そして後、次第に外国の長所をとり入れるべきである。
そうでなくて、ただみだりに外国に追随し、これを見ならうならば、国体は衰え、風俗教化はすたれて救いがたい有様になるであろう。そしてついには外国に制せられ国を危うくすることになるであろう。


九 忠孝仁愛教化の道は政事の大体にして、万世に亘(わた)り宇宙に弥(わた)り易(か)ふ可からざるの要道也。道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し。

 

(訳)忠孝(天皇や国によくつかえ、親を大事にして子としての義務をつくすこと)仁愛(他人に対してめぐみいつくしむこと)教化(教え導いて善に進ませること)という三つの道徳は、まつりごとの基本で、未来永遠に、また世界のどこにおいてもかえてはならない大事な道である。
道というものは天地自然のもので、たとえ西洋であっても決して区別はないのである。


一〇 人智を開発するとは、愛国忠孝の心を開くなり。国に尽し家に勤むるの道明かならば、百般の事業は従て進歩す可し。或ひは耳目を開発せんとて、電信を懸け、鉄道を敷き、蒸気仕掛けの器械を造立(りつ)し、人の耳目を聳(しょう)動(どう)すれ共、何故電信鉄道の無くては叶はぬぞ、欠くべからざるものぞと云ふ処に目を注がず、猥(みだ)りに外国の盛大を羨(うらや)み、利害得失を論ぜず、家屋の構造より玩(がん)弄(ろう)物(ぶつ)に至る迄、一々外国を仰ぎ、奢(しゃ)侈(し)の風を長じ、財用を浪費せば、国力疲(ひ)弊(へい)し、人心浮(ふ)薄(はく)に流れ、結局日本身(しん)代(たい)限(がぎ)りの外有る間敷也。

 

(訳)人間の知恵を聞きおこすというのは愛国の心、忠孝の心を開くことである。
国のため尽し、家のため勤めるという人としての道が明らかであるならば、すべて事業はそれにつれて進歩するであろう。
あるいは世の中には耳で聞いたり目で見たりする分野を開発しようとして電信をかけ、鉄道を敷き、蒸気仕掛の機械を造って、人の目や耳をおどろかすようなことをするけれども、どういうわけで電信、鉄道がなくてはならないか、また人間生活に欠くことのできないものであるかということに目を注がないで、みだりに外国の盛大なことをうらやみ、利害得失を論議することなく、家の造り構えから玩具類に至るまで一々外国のまねをし、身分不相応にぜいたくな風潮をあおって財産をむだづかいするならば、国の力は衰え、人の心は浅はかで軽々しくなり、結局日本は破産するよりほかないであろう。


一一 文明とは道の普(あまね)く行はるるを賛(さん)称(しょう)せる言にして、宮室の荘(そう)厳(ごん)、衣服の美麗、外観の浮(ふ)華(か)を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やら些(ち)とも分からぬぞ。予(よ)、甞(かつ)て或人と議論せしこと有り、西洋は野蛮ぢゃと云ひしかば、否(い)な文明ぞと争ふ。否な否な野蛮ぢゃと畳みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せしゆゑ、実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、左(さ)は無くして未開蒙(もう)昧(まい)の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢゃと申せしかば、其の人口を莟(つぼ)めて言無かりきとて笑はれける。

 

(訳)文明というのは道理にかなったことが広く行われることをたたえていう言葉であって、宮殿が大きくおごそかであったり、身にまとう着物がきらびやかであったり、見かけが華やかでうわついていたりすることをいうのではない。
世の中の人のいうところを聞いていると、何が文明なのか、何が野(や)蛮(ばん)(文化の開けないこと)なのか少しもわからない。
自分はかつてある人と議論したことがある。自分が西洋はやばんだと言ったところ、その人はいや西洋は文明だと言い争う。
いや、やばんだとたたみかけて言ったところ、なぜそれほどまでにやばんだと申されるのかと力をこめていうので、もし西洋がほんとうに文明であったら、未開国に対してはいつくしみ愛する心をもととして懇々と説きさとし、もっと文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく、未開で知識に乏しく道理に暗い国に対するほどむごく残忍なことをして自分たちの利益のみをはかるのは明らかにやばんであると申したところ、その人もさすがに口をつぐんで返答できなかったよと笑って話された。 


一二 西洋の刑法は専ら懲(ちょう)戒(かい)を主として苛(か)酷(こく)を戒(いまし)め、人を善良に導くに注意深し。故に囚(しゅう)獄(ごく)中の罪人をも、如何にも緩(ゆ)るやかにして鑒(かん)誡(かい)となる可き書籍を与へ、事に因りては親族朋友の面会をも許すと聞けり。尤も聖人の刑を設けられしも、忠孝仁愛の心より鰥(かん)寡(か)孤独を愍(あわれ)み、人の罪に陥(おちい)るを恤(うれ)へ給ひしは深けれ共、実地手の届きたる今の西洋の如く有りしにや、書籍の上には見え渡らず、実に文明ぢゃと感ずる也。

 (訳)西洋の刑法はもっぱらいましめこらすことを根本の精神として、むごいあつかいを避け、人を善良に導くことに心を注ぐことが深い。
だから獄にとらわれている罪人であっても穏(おん)便(びん)にとりあつかい、いましめの手本となるような書籍を与え、事がらによっては親族や友人の面会も許すということだ。
もともと昔の聖人が刑罰というものを設けられたのも、忠孝、仁愛の心から世に頼りのない身の上の人をあわれみ、そういう人が罪におちいるのを心配された心は深いが、実際の場で今の西洋のように手がとどいていたかどうか書物にかいてあるのを見あたらない。
西洋のこのような点はまことに文明だとつくづく感ずることである。


十三 租税を薄くして民を裕(ゆたか)にするは、即ち国力を養成する也。故に国家多端にして財用の足らざるを苦(くるし)むとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐(しい)たげぬもの也。能く古今の事跡を見よ。道の明かならざる世にして、財用の不足を苦むときは、必ず曲(きょく)知(ち)小(しょう)慧(けい)の俗(ぞく)吏(り)を用ひ巧みに聚(しゅう)斂(れん)して一時の欠乏に給するを、理材に長ぜる良臣となし、手段を以て苛(か)酷(こく)に民を虐(しい)たげるゆゑ、人民は苦悩に堪へ兼ね、聚(しゅう)斂(れん)を逃(のが)れんと、自然橘(きっ)詐(さ)狡(こう)猾(かつ)に趣き、上下互に欺(あざむ)き、官民敵(てき)讐(しゅう)と成り、終に分(ぶん)崩(ぽう)離(り)析(せき)に至るにあらずや。 

(訳)税金を少なくして国民生活をゆたかにすることこそ国力を養うことになる。
だから国にいろいろ事がらが多く、財政の不足で苦しむようなことがあっても税金の定まった制度をしっかり守り、上層階級の人たちをいためつけたり下層階級の人たちを、しいたげたりしてはならない。
昔からの歴史をよく考えてみるがよい。道理の明らかに行われない世の中にあって、財政の不足で苦しむときは、必ず片寄ったこざかしい考えの小役人を用いて悪どい手段で税金をとりたて、一時の不足をのがれることを財政に長じたりっぱな官吏とほめそやす。
そういう小役人は手段を選ばず、むごく国民を虐待するから人々は苦しみに堪えかねて税の不当な取りたてからのがれようと、自然にうそいつわりを申し立て、また人間がわるがしこくなって上層下層の者がお互いにだましあい、官吏と一般国民が敵対して、しまいには国が分裂崩壊するようになっているではないか。


十四 会計出納は制度の由つて立つ所、百般の事業皆是より生じ、経(げい)綸(りん)中の枢(すう)要(よう)なれば、慎まずばならぬ也。其大体を申さば、入るを量(はか)りて出づるを制するの外更に他の術(じゅつ)数(すう)無し。一歳の入るを以て百般の制限を定め、会計を総理する者身を以て制を守り、定制を超過せしむ可からず。否(しか)らずして時勢に制せられ、制限を慢(みだり)にし出づるを見て入るを計りなば、民の膏(こう)血(けつ)を絞るの外有る間敷也。然らば仮(た)令(とえ)事業は一旦進歩する如く見ゆ共、国力疲(ひ)弊(へい)して済(さい)救(きゅう)す可からず。

(訳)国の会計出納(金の出し入れ)の仕事はすべての制度の基本であって、あらゆる事業はこれによって成り立ち、国を治める上でもっともかなめになることであるから、慎重にしなければならない。
そのおおよその方法を申し述べるならば、収入をはかって支出をおさえるという以外に手段はない。
一年の収入をもってすべての事業の制限を定めるものであって、会計を管理する者が、一身をかけて定(き)まりを守り、定められた予算を超過させてはならない。そうでなくして時の勢いにまかせ、制限を緩慢にし、支出を優先して考え、それにあわせて収入をはかるようなことをすれば、結局国民に重税を課するほか方法はなくなるであろう。
もしそうなれば、たとえ事業は一時的に進むように見えても国力が衰え傾いて、ついには救い難いことになるであろう。


 十五 常備の兵数も、亦(また)会計の制限に由る、決して無限の虚(きょ)勢(せい)を張る可からず。兵気を鼓(こ)舞(ぶ)して精兵を仕立てなば、兵数は寡(すくな)くとも、折(せっ)衝(しょう)禦(ぎょ)侮(ぶ)共に事欠く間敷也。 

(訳)常備する兵数すなわち国防の戦力ということであっても、また会計の制限の中で処理すべきで、決して軍備を拡張して、からいばりしてはならない。
兵士の気力を奮い立たせてすぐれた軍隊をつくりあげるならば、たとえ兵の数は少くても外国との折衝にあたっても、また、あなどりを防ぐにも事欠くことはないであろう。


十六 節義廉(れん)恥(ち)を失ひて、国を維持するの道決して有らず、西洋各国同然なり。
上に立つ者下に臨みて利を争ひ義を忘るる時は、下皆之に倣(なら)ひ、人心忽ち財利に趨(はし)り、卑(ひ)吝(りん)の情日々長じ、節義廉(れん)恥(ち)の志(し)操(そう)を失ひ、父(ふ)子(し)兄(けい)弟(てい)の間も銭財を争ひ、相ひ讐(しゅう)視(し)するに至る也。此の如く成り行かば、何を以て国家を維持す可きぞ。徳川氏は将士の猛き心を殺(そ)ぎて世を治めしか共、今は昔(せき)時(じ)戦国の猛士より猶一層猛き心を振ひ起さずば、万国対(たい)峙(じ)は成る間敷也。普(ふ)仏(ふつ)の戦、仏国三十万の兵三カ月糧食有りて降伏せしは、余り算(そろ)盤(ばん)に精(くわ)しき故なりとて笑はれき。

 

(訳)節義(かたい道義、みさお)廉恥(潔白で恥を知ること)の心を失うようなことがあれば国家を維持することは決してできない。
それは西洋各国であってもみな同じである。上に立つ者が下に対して自分の利益のみを争い求め、正しい道を忘れるとき、下の者もまたこれにならうようになって人は皆財欲に奔走し、卑しくけちな心が日に日に増長し、節義廉恥のみさおを失うようになり、親子兄弟の間も財産を争い互いに敵視するに至るのである。
このようになったら何をもって国を維持することができようか。徳川氏は将兵の勇猛な心をおさえて世の中を治めたが、今は昔の戦国時代の勇将よりもなお一層勇猛心を奮いおこさなければ世界のあらゆる国々と相対することはできないであろう。
独仏戦争のとき、フランスが三十万の兵と三カ月の食糧があったにもかかわらず降伏したのは、余り金銭財利のそろばん勘定にくわしかったがためであるといって笑われた。


十七 正道を踏み国を以て斃(たお)るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円(えん)滑(かつ)を主として、曲げて彼の意に従順する時は、軽(けい)侮(ぶ)を招き、好親却(かえっ)て破れ、終に彼の制を受くるに至らん。

 

(訳)正しい道をふみ、国を賭して倒れてもやるという精神がないと外国との交際はこれを全うすることはできない。
外国の強大なことに恐れ、ちぢこまり、ただ円滑にことを納めることを主眼にして自国の真意を曲げてまで外国のいうままに従うことは、あなどりを受け、親しい交わりがかえって破れ、しまいには外国に制圧されるに至るであろう。


十八 談(だん)国事に及びし時、慨(がい)然(ぜん)として申されけるは、国の凌(りょう)辱(じょく)せらるるに当たりては、縦(たとえ)令国を以て斃(たお)る共、正道を践(ふ)み、義を尽すは政府の本務也。然るに平日金(きん)穀(こく)理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれ共、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟(こう)安(あん)を謀るのみ、戦の一字を恐れ、政府の本務を墜(おと)しなば、商法支配所と申すものにて更に政府には非ざる也。

 

(訳)話が国のことに及んだとき、たいへん嘆いて言われるには、国が外国からはずかしめを受けるようなことがあったら、たとえ国全体でかかってたおれようとも正しい道をふんで道義をつくすのは政府のつとめである。
しかるにかねて金銭や穀物や財政のことを議論するのを聞いていると、何という英雄豪傑かと思われるようであるが、血の出ることに臨むと頭を一ところに集め、ただ目の前の気やすめだけをはかるばかりである。
戦の一字を恐れ政府本来の任務をおとすようなことがあったら商法支配所、すなわち商いのもとじめというようなもので、一国の政府ではないというべきである。 


十九 古より君臣共に己れを足れりとする世に、治(ち)功(こう)の上りたるはあらず。自分を足れりとせざるより、下(しも)々(じも)の言も聴き入るるもの也。己れを足れりとすれば、人己れの非を言へば忽ち怒るゆゑ、賢人君子は之を助けぬなり。

 

(訳)昔から主君と臣下が共に自分は完全だと思って政治を行うような世にうまく治まった時代はない。
自分は完全な人間ではないと考えるところからはじめて下々の言うことも聞き入れるものである。自分が完全だと思っているとき、人が自分の欠点を言いたてると、すぐ怒るから、賢人や君子というようなりっぱな人はおごりたかぶっている者に対しては決してこれを補佐しないのである。


二〇 何程制度方法を論ずる共、其人に非ざれば行はれ難し。人有りて後方法の行はるるものなれば、人は第一の宝にして、己れ其人に成るの心懸け肝要なり。

 

(訳)どんなに制度や方法を論議してもそれを説く人がりっぱな人でなければ、うまく行われないだろう。
りっぱな人があってはじめて色々な方法は行われるものだから、人こそ第一の宝であって、自分がそういうりっぱな人物になるよう心がけるのが何より大事なことである。


二一 道は天地自然の道なるゆゑ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克(こっ)己(き)を以て終始せよ。己れに克つの極功は「毋(ナシ)(レ)意毋(ナシ)(レ)必毋(ナシ)(レ)固毋(ナシ)(レ)我」(○論語)と云へり。
総じて人は己れに克(か)つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。能く古今の人物を見よ。事業を創起する人其事大抵十に七八迄は能く成し得れ共、残り二つを終る迄成し得る人の希(ま)れなるは、始は能く己れを慎み事をも敬する故、功も立ち名も顕るるなり。
功立ち名顕るるに随ひ、いつしか自ら愛する心起り、恐(きょう)櫂(く)戒(かい)慎(しん)の意弛(ゆる)み、驕(きょう)矜(きょう)の気漸く長じ、其成し得たる事業を負(たの)み、苟(いやしく)も我が事を仕遂げんとてまづき仕事に陥いり、終に敗るるものにて、皆自ら招く也。故に己れに克ちて、睹(み)ず聞かざる所に戒(かい)慎(しん)するもの也。

 

(訳)道というものは、この天地のおのずからなる道理であるから、学問を究めるには敬天愛人(天は神と解してもいいが、当時の学者今藤宏はこれを道理と説いている。すなわち、道理をつつしみ守るのが敬天である。
また人は皆自分の同胞であり、仁の心をもって衆を愛するのが愛人である。)を目的とし、自分の修養には己れに克つということをいつも心がけねばならない。
己れに克(か)つということの真の目標は論語にある「意なし、必なし、固なし、我なし」(当て推量をしない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない。)ということだ。
すべて人間は己れに克(か)つことによって成功し、己れを愛することによって失敗するものだ。
よく昔から歴史上の人物をみるがよい。
事業をはじめる人が、その事業の七、八割まではたいていよくできるが、残りの二、三割を終りまで成しとげる人の少いのは、はじめはよく己れをつつしんで事を慎重にするから成功もし、名も現われてくる。
ところが、成功して有名になるに従っていつのまにか自分を愛する心がおこり、畏(おそ)れつつしむという精神がゆるんで、おごりたかぶる気分が多くなり、そのなし得た仕事をたのんで何でもできるという過信のもとにまずい仕事をするようになり、ついに失敗するものである。
これらはすべて自分が招いた結果である。だから、常に自分にうち克(か)って、人が見ていないときも聞いていないときも自分をつつしみいましめることが大事なことだ。


 

二二 己れに克つに、事々物々時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼て気象を以て克ち居れよと也。

 (訳)己れにうち克(か)つにすべての事を、その時その場のいわゆる場あたりに克(か)とうとするから、なかなかうまくいかぬのである。かねて精神を奮いおこして自分に克(か)つ修行をしていなくてはいけない。 


二三 学に志す者、規(き)模(ぼ)を宏大にせずば有る可からず。さりとて唯此こにのみ偏(へん)倚(い)すれば、或は身を修するに疎(おろそか)に成り行くゆゑ、終始己れに克ちて身を修する也。規模を宏大にして己れに克ち、男子は人を容れ、人に容れられては済まぬものと思へよと、古語を書いて授けらる。

 恢(二)宏其志気(一)者。人之患。莫(レ)大(レ)乎(下)自私自吝。安(二)於卑俗(○二)而不(中)以(二)古人(一)自期(○上) 古人を期するの意を請問せしに、尭(ぎょう)舜(しゅん)を以て手本とし、孔(こう)夫(ふう)子(し)を教師とせよとぞ。

 

(訳)学問に志す者はその理想を大きくしなければならない。
しかし、ただそのことのみに片寄ってしまうと身を修めることがおろそかになってゆくから、常に自分にうち克(か)って修養することが大事である。
理想を大きくして自分にうち克(か)つことに努めよ。男というものは、人を自分の心のうちにすっぽり呑みこんでしまうくらいの度量が必要で、人からのまれてしまってはだめであると思えよと言われて、昔の人の訓を書いて与えられた。

 其の志気を恢(かい)宏(こう)する者は、人の患(うれい)は、自(じ)私(し)自(じ)吝(りん)、卑(ひ)俗(ぞく)に安んじて古人をもって自ら期せざるより大なるはなし

 (物事を成そうとする意気をおし広めようとする者にとって、もっとも憂えるべきことは自己のことをのみ図り、けちで低俗な生活に安んじ、昔の人を手本となして、自分からそうなろうと修業をしようとしないことだ)

古人を期するというのはどういうことですかとたずねたところ、尭舜(共に古代中国の偉大な帝王)をもって手本とし、孔子(中国第一の聖人)を教師として勉強せよと教えられた。

 


二四 道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也。

 

(訳)道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。
天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。


二五 人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽し人を咎(とが)めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。 

(訳)人を相手にしないで常に天を相手にするよう心がけよ。
天を相手にして自分の誠をつくし、決して人の非をとがめるようなことをせず、自分の真心の足らないことを反省せよ。 


二六 己れを愛するは善からぬことの第一也。修業の出来ぬも、事の成らぬも、過(あやまち)を改むることの出来ぬも、功に伐(ほこ)り驕(きょう)謾(まん)の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬもの也。 

(訳)自分を愛すること、即ち自分さえよければ人はどうでもいいというような心はもっともよくないことである。
修業のできないのも、事業の成功しないのも過ちを改めることのできないのも自分の功績を誇りたかぶるのも皆、自分を愛することから生ずることで、決してそういう利己的なことをしてはならない。


二七 過ちを改むるに、自ら過つたとさへ思ひ付かば、夫れにて善し、其事をば棄てて顧みず、直に一歩踏出す可し。過を悔しく思ひ、取繕はんと心配するは、譬(たと)へば茶碗を割り、其欠けを集め合せ見るも同じにて、詮(せん)もなきこと也。 

(訳)過ちを改めるにあたっては、自分からあやまったとさえ思いついたら、それでよい。
そのことをさっぱり思いすてて、すぐ一歩前進することだ。
過去のあやまちを悔しく思い、あれこれと取りつくろおうと心配するのは、たとえば茶わんを割ってそのかけらを集めてみるのも同様で何の役にも立たぬことである。


二八 道を行うには尊卑貴賎の差別無し。摘(つま)んで言へば、尭舜は天下に王として万機の政事を執り給へ共、其の職とする所は教師也。孔夫子は魯(ろ)国を始め、何(いず)方(かた)へも用ひられず、屡(しば)々(しば)困(こん)厄(やく)に逢ひ、匹(ひっ)夫(ぷ)にて世を終へ給ひしか共、三千の徒(と)皆道を行ひし也。

 

(訳)道を行うことに身分の尊いとか卑しいとかの区別はなく、誰でも行わねばならないことだ。
要するに昔、中国の尭舜は国王として国のまつりごとをとっていたが、もともとその職業は教師であった。
孔子先生は魯の国をはじめどこの国にも用いられず何度も困難な苦しいめにあわれ、身分の低いままに一生を終えられたが、三千人といわれるその子弟は皆その教に従って道を行ったのである。


二九 道を行ふ者は、固(もと)より困厄に逢ふものなれば、如何なる艱(かん)難(なん)の地に立つとも、事の成否身の死生抔(など)に、少しも関係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出来る人出来ざる人有るより、自然心を動かす人も有れ共、人は道を行ふものゆゑ、道を蹈むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。故に只(ひた)管(す)ら道を行ひ道を楽み、若し艱難に逢うて之を凌(しの)がんとならば、弥(いよ)々(いよ)道を行ひ道を楽む可し。予(よ)壮年より艱難と云ふ艱難に罹(かか)りしゆゑ、今はどんな事に出会ふ共、動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也。

 

(訳)道を行う者はどうしても困難な苦しいことに会うものだから、どんなむずかしい場面に立っても、その事が成功するか失敗するかということや、自分が生きるか死ぬかというようなことに少しもこだわってはならない。
事をなすには上手下手があり、物によってはよくできる人やよくできない人もあるので、自然と道を行うことに疑いをもって動揺する人もあろうが、人は道を行わねばならぬものだから、道をふむという点では上手下手もなく、できない人もない。
だから一生懸命道を行い道を楽しみ、もし困難なことにあってこれを乗り切ろうと思うならば、いよいよ道を行い道を楽しむような境地にならなければならぬ。
自分は若い時代から困難という困難にあって来たので今はどんな事に出会っても心が動揺するようなことはないだろう。それだけは実にしあわせだ。


三〇 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。去れ共、个(か)様(よう)の人は、凡俗の眼には見得られぬぞと申さるるに付、孟子に、「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行ふ、志を得れば民と之に由り、志を得ざれば独り其道を行ふ、富貴も淫(いん)すること能はず、貧(ひん)賎(せん)も移すこと能はず、威武も屈(くつ)すること能はず」と云ひしは、今仰せられし如きの人物にやと問ひしかば、いかにも其の通り、道に立ちたる人ならでは彼の気象は出ぬ也。

 

(訳)命もいらぬ、名もいらぬ、官位もいらぬ、金もいらぬというような人は処理に困るものである。
このような手に負えない大馬鹿者でなければ困難をいっしょにわかちあい、国家の大きな仕事を大成することはできない。
しかしながら、このような人は一般の人の眼では見ぬくことができぬと言われるので、それでは孟子(古い中国の書)の中にあるように「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行う。志を得れば民と之に由り、志を得ざれば独り其道を行う。富貴も淫すること能わず、貧賎も移すこと能わず、威武も屈すること能わず」
(註 人は天下の広々としたところにおり、天下の正しい位置に立って天下の正しい道を行うものだ。もし、志を得て上げ用いられたら一般国民と共にその道を行い、もし志を得ないで用いられないときは、独りで道を行えばよい。
そういう人はどんな富や身分もこれをけがすことはできないし、貧しくいやしいこともこれによって心のくじけることはない。
また威武(勢力の強いこと)をもって、これを屈服させようとしても決してそれはできない。)と言ってあるのは今、仰せられたような人物(真の男子)のことですかとたずねたら、いかにもそのとおりで、真に道を行う人でなければそのような精神は得難いことだと答えられた。


三一 道を行ふ者は、天下挙(こぞっ)て毀(そし)るも足らざるとせず、天下挙て誉むるも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。其の工夫は、韓文公が伯(はく)夷(い)の頌(しょう)を熟読して会(え)得(とく)せよ。

 

(訳)正しい道義をふんで生きてゆく者は、国中の人が寄ってたかってそしるようなことがあっても決して不満を言わず、また、国中の人がこぞってほめても決して自分に満足しないのは自分を深く信じているからである。
そのような人物になる方法は韓文公(韓退之、唐の文章家)の伯(はく)夷(い)の頌(しょう)(伯夷、叔斉兄弟の節を守って餓死した文の一章)をよく読んでしっかり身につけるべきである。


三二 道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。司(し)馬(ば)温(おん)公(こう)は閨(けい)中(ちゅう)にて語りし言も、人に対して言ふべからざる事無しと申されたり。独(ひとり)を慎むの学推して知る可し。人の意表に出て一時の快(かい)適(てき)を好むは、未熟の事なり、戒(いまし)む可し。

 

(訳)正しい道義をふみおこなおうとする者は大きな事業を尊ばないのがよい。
司馬温公(中国北宋の学者)は寝室の中で妻とひそかに語ったことも他人に対して言えないようなことはないと言われた。
独りをつつしむということの真意はいかなるものであるか、これによってもわかるであろう。人をあっと言わせるようなことをして、その時だけいい気分にひたるのはまだまだ修業のできていない人のすることで、十分反省するがいい。


三三 平日道を蹈まざる人は、事に臨みて狼(ろう)狽(ばい)し、処分の出来ぬもの也。譬へば近隣に出火有らんに、平(へい)生(ぜい)処分有る者は動揺せずして、取(とり)仕(し)末(まつ)も能く出来るなり、平日処分無き者は、唯狼狽して、なかなか取仕末どころには之無きぞ。夫れも同じにて、平生道を蹈み居る者に非ざれば、事に臨みて策は出来ぬもの也。予先年出陣の日、兵士に向ひ、我が備への整不整を、唯味方の目を以て見ず、敵の心に成りて一つ衝(つ)いて見よ、夫れは第一の備ぞと申せしとぞ。

 

(訳)かねて道義をふみ行わない人は、ある事がらに出会うと、あわてふためき、どうしてよいかわからぬものである。
たとえば、近所に火事があった場合、かねてそういう時の心構えのできている人は少しも心を動揺させることなく、てきぱきとこれに対処することができる。
しかし、かねてそういう心構えのできていない人は、ただあわてふためき、とてもこれに対処するどころの騒ぎではない。
それと同じことで、かねて道義をふみ行っている人でなければ、ある事がらに出会ったとき、りっぱな対策はできない。
自分が先年戦いに出たある日のこと、兵士に向って自分たちの防備が十分であるかどうか、ただ味方の目ばかりで見ないで、敵の心になってひとつ突いて見よ、それこそ第一の防備であると説いて聞かせたと言われた。


三四 作(さ)略(りゃく)は平日致さぬものぞ。作略を以てやりたる事は、其迹(あと)を見れば善からざること判然にして、必ず悔い有る也。唯戦に臨みて作略無くばあるべからず。併し平日作略を用ふれば、戦に臨みて作略は出来ぬものぞ。孔明は平日作略を致さぬゆゑあの通り奇計を行はれたるぞ。予嘗て東京を引きし時、弟へ向ひ、是迄少しも作略をやりたる事有らぬゆゑ、跡は聊(いささ)か濁るまじ、夫れ丈けは見れと申せしとぞ。 

(訳)はかりごと(かけひき)はかねては用いない方がよい。
はかりごとをもってやったことはその結果を見ればよくないことがはっきりしていて、必ず後悔するものである。
ただ戦争の場合だけは、はかりごとがなければいけない。しかし、かねてはかりごとをやっていると、いざ戦いということになった時、うまいはかりごとは決してできるものではない。
諸葛孔明(中国三国時代、蜀漢の丞相、誠忠無私の人)はかねて計略をしなかったからいざという時、あのように思いもよらないはかりごとを行うことができたのだ。
自分はかつて東京を引揚げたとき、弟(従道)に向かって「自分はこれまで少しもはかりごとをやったことがないので、ここを引揚げた後も、跡は少しも濁ることはあるまい。それだけはよく見ておけ」とはっきり言っておいたということだ。


三五 人を籠(ろう)絡(らく)して陰(いん)に事を謀る者は、好し其事を成し得る共、慧(けい)眼(がん)より之を見れば醜(しゅう)状(じょう)著(いちじ)るしきぞ。人に推(お)すに公平至誠を以てせよ。公平ならざれば英雄の心は決して攬(と)らぬもの也。

 

(訳)人をごまかして、かげでこそこそ事を企てる者は、たとえその事ができあがろうとも、物事をよく見抜くことのできる人がこれを見れば、みにくいことこの上もない。
人に対しては常に公平で真心をもって接するのがよい。公平でなければすぐれた人の心をつかむことはできないものだ。


三六 聖賢に成らんと欲する志無く、古人の事(じ)跡(せき)を見、迚(とて)も企(くわだ)て及ばぬと云ふ様なる心ならば、戦に臨みて逃ぐるより猶(なお)卑(ひ)怯(きょう)なり。朱子も白(はく)刃(じん)を見て逃ぐる者はどうもならぬと云はれたり。誠意を以て聖賢の書を読み、其の処分せられたる心を身に体し心に験する修業致さず、唯个(か)様(よう)の言个(か)様(よう)の事と云ふのみを知りたりとも、何の詮(せん)無きもの也。予今日人の論を聞くに、何程尤もに論ずるとも、処分に心行き渡らず、唯口(く)舌(ぜつ)の上のみならば、少しも感ずる心之れ無し。真に其の処分有る人を見れば、実に感じ入る也。聖賢の書を空しく読むのみならば、譬(たと)へば人の剱(けん)術(じゅつ)を傍(ぼう)観(かん)するも同じにて、少しも自分に得(とく)心出来ず。自分に得心出来ずば、万一立ち合へと申されし時逃ぐるより外有る間(ま)敷(じき)也(なり)。

 

(訳)聖人賢士(知徳のすぐれた人、賢明な人)になろうとする志がなく、昔の人の行われた史実をみて、自分などとうてい企て及ぶことはできないというような心であったら、戦いに臨んで逃げるよりなお卑(ひ)怯(きょう)なことだ。
朱子(昔の中国南宋の学者)は刀のぬき身を見て逃げる者はどうしようもないと言われた。真心をもって聖人賢士の書を読み、その一生をかけて行い通された精神を、心身に体験するような修業をしないで、ただこのような言葉を言われ、このような事業をされたということを知るばかりでは何の役にも立たぬ。
自分は今、人の言うことを聞くに、何程もっともらしく議論しようとも、その行いに精神が行き渡らず、ただ口先だけのことであったら少しも感心しない。ほんとうにその行いのできた人を見れば、実にりっぱだと感じいるのである。
聖人賢士の書をただうわべだけ読むのであったら、ちょうど他人の剣術をそばから見るのと同じで、少しも自分に納得の行くはずがない。自分に納得ができなければ、万一試合をしようと人から言われたとき、逃げるよりほかないであろう。


三七 天下後世迄も信仰悦(えっ)服(ぷく)せらるるものは、只(ただ)是(これ)一(いっ)箇(こ)の真(しん)誠(せい)也。古へより父の仇を討ちし人、其の麗(か)ず挙て数へ難き中に、独り曽我の兄弟のみ、今に至りて児童婦女子迄も知らざる者の有らざるは、衆に秀でて誠の篤き故也。誠ならずして世に誉めらるるは、僥(ぎょう)倖(こう)の誉也。誠篤ければ、縦令当時知る人無く共、後世必ず知己有るもの也。

 

(訳)この世の中でいついつまでも信じ仰がれ、喜んで服従できるのはただひとつ人間の真心だけである。
昔から父の敵(かたき)を討った人は数えきれないほどたくさんあるが、その中でひとり曽我兄弟だけが、今の世に至るまで女子子供でも知らない人のないくらい有名なのは、多くの人にぬきんでて真心が深いからである。
真心がなくて世の中の人からほめられるのは偶然の幸運に過ぎない。真心が深いと、たとえその当時、知る人がなくても後の世に必ず心の友ができるものである。


三八 世人の唱(とな)ふる機会とは、多くは僥倖の仕(し)當(あ)てたるを言ふ。真の機会は、理を尽して行ひ、勢を審(つまびら)かにして動くと云ふに在り。平日国天下を憂ふる誠心厚からずして、只時のはずみに乗じて成し得たる事業は、決して永続せぬものぞ。

 

(訳)世の中の人の言う機会とは、多くは、まぐれあたりに、たまたま得たしあわせのことをさしている。
しかし、ほんとうの機会というのは道理をつくして行い、時の勢いをよく見きわめて動くという場合のことだ。かねて国や世の中のことを憂える真心が厚くなくて、ただ時のはずみにのって成功した事業は決して長つづきしないものである。 


三九 今の人、才識有れば事業は心次第に成さるるものと思へ共、才に任せて為す事は、危くして見て居られぬものぞ。体有りてこそ用は行はるるなり。肥後の長岡先生の如き君子は、今は似たる人をも見ることならぬ様になりたりとて嘆息なされ、古語を書いて授けらる。
 夫天下非(レ)誠不(レ)動。非(レ)才不(レ)治。誠之至者。其動也速。才之周者。其治也広。才与(レ)誠合。然後事可(レ)成。

 

(訳)今の世の中の人は、才能や知識だけあればどんな事業でも心のままにできるように思っているが、才にまかせてすることはあぶなっかしくて見てはおられないくらいだ。
しっかりした内容があってこそ物事はりっぱに行われるものだ。
肥後の長岡先生のようなりっぱな人物は今は似た人もみることはできぬようになったといって嘆かれ、昔の言葉を書いて与えられた。

 それ天下誠に非ざれば動かず。才に非ざれば治まらず。誠の至る者その動くや速し。才の周(あま)ねき者その治むるや広し。才と誠と合し然る後事を成すべし。
 (註 世の中のことは真心がない限り動かすことはできない。才識(才能と識見)がない限り治めることはできない。真心に撤するとその動きも速い。才識があまねくゆきわたっていると、その治めるところも広い。才識と真心といっしょになった時、すべてのことはりっぱにできあがるであろう。)


四〇 翁に従ひて犬を駆(か)り兎を追ひ、山(さん)谷(こく)を跋(ばっ)渉(しょう)して終日猟(か)り暮らし、一田(でん)家(か)に投宿し浴終りて心神いと爽快に見えさせ給ひ、悠然として申されけるは、君子の心は常に斯(かく)の如くにこそ有らんと思ふなりと。

 

(訳)翁に従って犬を走らせ兎を追い、山や谷を渡り歩いて終日狩り暮らした夕ぐれに、いなかの家に宿られ、風呂に入って身も心もきわめて爽(そう)快(かい)にうかがわれるとき、ゆったりとして言われるには「君子の心はいつもこのようにさわやかなものであろうと思う」と。


四一 身を修し己れを正して、君子の体(たい)を具ふる共、処分の出来ぬ人ならば、木(もく)偶(くう)人(じん)も同然なり。譬へば数十人の客不意に入り来んに、仮(たと)令(え)何程饗(きょう)応(おう)したく思ふ共、兼て器具調度の備無ければ、唯心配するのみにて、取(とり)賄(まかな)ふ可き様有間敷ぞ。常に備あれば、幾人なり共、数に応じて賄はるる也。夫れ故平日の用意は肝(かん)腎(じん)ぞとて、古語を書いて賜りき。

 文非(二)鉛槧(一)也。必有(二)処(レ)事之才(○一)武非(二)劔楯(一)也。必有(二)料(レ)敵之智(○一)才智之所(レ)在一焉而巳。

(○宋、陳龍川酌古論序文)

 

(訳)自分の行いを修め、心を正して君子の形をそなえても事にあたってその処理のできない人は、ちょうど木で作った人形も同じことである。
たとえば数十人のお客が俄かにおしかけて来た場合、どんなにもてなそうと思っても、かねて器物や道具の準備ができていなければ、ただおろおろと心配するだけで、接待のしようもないであろう。
いつも道具の準備があれば、たとえ何人であろうとも、数に応じて接待することができるのである。だから、かねての用意こそ何よりも大事なことであると古語を書いて下さった。

 文は鉛(えん)槧(ざん)に非ざるなり。必ず事に処するの才あり。武は剣(けん)楯(じゅん)に非ざるなり。必ず敵をはかるの智あり。才智の在るところ一のみ。

 (註 学問というものはただ文筆の業のことをいうのではない。
必ず事に当ってこれをさばくことのできる才能のあることである。武道というものは剣や楯をうまく使いこなすことをいうのではない。
必ず敵を知ってこれに処する知恵のあることである。才能と知恵のあるところはただ一つである。)


(追加)

 一 事に当り思慮の乏しきを憂ふること勿れ。凡(およそ)思慮は平生黙坐静思の際に於てすべし。有事の時に至り、十に八九は履(り)行(こう)せらるるものなり。事に当り率(そつ)爾(じ)に思慮することは、譬へば臥床夢(む)寐(び)の中、奇策妙案を得るが如きも、明朝起床の時に至れば、無用の妄(もう)想(そう)に類すること多し。 

(訳)ある事がらにあたって考えの乏しいことを心配することはない。
およそ物事に対する考えというものは、かねて無言のまま座っている時、心をしずめている時にすべきことである。
そうすれば、何か事ある時には十のうち八、九はやりとげることができるものである。
一つの事がらに出会ってその場で軽はずみにいろいろ考えるということは、たとえば寝床で夢をみている間にすぐれた方法や考えを得ることができたように思うが、あくる朝目覚めて起床するときには、役に立たない、正しくない想いに終ってしまうようなことが多いものだ。


二 漢学を成せる者は、弥(いよ)漢(いよ)籍に就て道を学ぶべし。道は天地自然の物、東西の別なし。苟も当時万国対峙の形勢を知らんと欲せば、春秋左氏伝を熟読し、助くるに孫子を以てすべし。当時の形勢と略(ほ)ぼ大差なかるべし。 

(訳)漢学(中国の学問)を勉強したものはますます中国の古典について道義を学ぶのがよい。
道義は天地のおのずからなるもので東洋、西洋の区別なくどこでも同じである。
もし、現在の世界各国が対立している様子を知ろうと思うならば、春秋左氏伝(中国の古い史書)をよく読み、さらに補助として孫子(中国の兵書)を読むがよい。
今の世の中の様子とはほとんど大きな違いはないであろう。


 問答    岸良真二郎 問

一 事に臨み猶予狐疑して果断の出来ざるは、畢竟憂国之志情薄く、事の軽重時勢に暗く、且愛情に牽かさるるによるべし。真に憂国之志相貫居候へば、決断は依て出るものと奉(レ)存候。如何のものに御座候哉。

 

(訳)大事な場面に臨んで、ぐずぐずしたり、疑い深く決心のできないのは、つまるところ、国を憂える心が薄く、事がらの軽重や世の中の情勢について疎く、さらには人情にひかされることによると思います。
本当に国を憂える真心を貫ぬいていたら、決心することは、おのずからできるものと思いますが、いかがでございましょうか。


二 何事も至誠を心となし候へば、仁勇知は、其中に可(レ)有(レ)之と奉(レ)存候。平日別段に可(レ)養ものに御座候哉。 

(訳)何事も誠を心とすれば、仁(いつくしみ)勇(勇気)知(知恵)すなわち人としての大事な道は、その中で養われるものと存じます。かねて特別に養わねばならないものでしょうか。


三 事の勢と機会を察するには、如何着目仕可(レ)然ものに御座候哉。 

(訳)事がらの勢いと、機会を知るにはどういうところに気をつけたらいいものでしょうか。 


四 思設けざる事変に臨み一点動揺せざる胆力を養ふには、如何目的相定、何より入りて可(レ)然ものに御座候哉。

 

(訳)思いがけない事がらに会い、少しも動揺しない胆力(きもったま)を養うには、どのような目標を定め、何から勉強していったらよいものでしょうか。


南洲   答 

一 猶予狐疑は第一毒病にて、害をなす事甚多し、何ぞ憂国志情の厚薄に関からんや。義を以て事を断ずれば、其宜にかなふべし、何ぞ狐疑を容るるに暇あらんや。狐疑猶予は義心の不足より発するものなり。 

(訳)ぐずぐずしたり、疑い深いというのは第一の毒で、害を及ぼすことが、きわめて多い。
決して国を憂える心の厚いとか薄いとかに関係することではない。
正しい道をもって物事を判断すれば、きっと筋道にかなうであろう。どうしてぐずぐずしたり疑い深い心など起こり得ようか。ぐずぐずしたり疑い深いというのは正しい心の不足から起こってくるものである。 


二 至誠の域は、先づ慎独より手を下すべし。間居即慎独の場所なり。小人は此処万悪の淵籔(えんそう)なれば、放(ほう)肆(し)柔惰の念慮起さざるを慎独とは云ふなり。是善悪の分るる処なり。心を用ゆべし。古人云ふ、「主(トシ)(レ)静(ヲ)立(ツ)(二)人極(ヲ)(一)」(○宋 周藩渓の語)是其至誠の地位なり、不(レ)慎べけんや、人極を立てざるべけんや。

 

(訳)至誠(この上もない真心)の境地はまず独りを慎むことから手を下すべきである。
することもなく、ひまでいることは、すなわち独りを慎むによい場所である。
小人(人格の低いつまらない人)にとっては、こういう場所が、すべての悪いことのより集まるところであるから、わがままや、心弱く怠ける思いを起さないことが、独りを慎むということである。ここが善と悪との分かれるところであり、最も心を用いなければならない。
昔の人が言っている。「静かで安らかな心で人としてこの上もない道をきわめる」と。これこそその至誠の境地である。慎まないでよかろうか。人としてこの上もない道をきわめるよう努力しないでよかろうか。 


三 知と能とは天然固有のものなれば、「無知之知(ハ)。不(シテ)(レ)慮(ヲ)而知(リ)。無能之能(ハ)。不(シテ)(レ)学(バ)而能(クス)」(○明、王陽明の語)と、是何物ぞや、其惟(ただ)心之所為にあらずや。心明なれば、知又明なる処に発すべし。

 

(訳)知恵と才能はおのずから備わったものであるから「たとえ知識がないものでも深く考えることなくしてよく知り、たとえ才能のないものでも、余り学ぶことなくしてよくできる」(明の王陽明の語)とあるが、これはどういうことであろうか。
すべての心のなすところではないだろうか。心さえ明らかであったら知恵もまた明らかにおこるであろう。


四 勇は必ず養う処あるものなり。孟子云はずや、浩然之気を養うと。此気養はずんばあるべからず。

 

(訳)勇気は必ず養わなければならない。孟子が言っているではないか。天地に満ちている何ものにも屈しない勇気を養うと。この勇気はかねて養うところがなければならない。 


五 事の上には必ず理と勢との二つ必あるべし。歴史の上にては能見分つべけれ共、現事にかかりては、甚見分けがたし。理勢は是非離れざるものなれば、能々心を用ふべし。譬へば賊ありて討つべき罪あるは、其理なればなり。規(き)模(ぼ)術略吾胸中に定りて、是を発するとき、千仞に坐して円石を転ずるが如きは、其勢といふべし。事に関かるものは、理勢を知らずんばあるべからず、只勢のみを知りて事を為すものは必ず術に陥るべし、又理のみを以て為すものは、事にゆきあたりて迫(つま)るべし。いづれ「当(ツテ)(レ)理(ニ)而後進(ミ)。審(ニシテ)(レ)勢(ヲ)而後動(ク)」(○陳龍川、先主論の語)ものにあらずんば、理勢を知るものと云ふべからず。

 

(訳)物事は何であっても、必ず道理と勢いの二つがある。
歴史の上ではこれをよく見分けることができるが、現在目の前の事については、なかなか見分け難い。
道理と勢いとは二つとも離すことのできないものだから、よくよく心を用いるべきである。たとえば悪者があって、これを征服しなければならないというのは、そういう道理があってのことである。
物の仕組みや、はかりごとが自分の心の中に定まっていて、これを発するとき、ちょうど非常に高いところにいて円い石をころがすようなのは、その勢いといってよいだろう。
事に当たるもの、皆このような道理と勢いということをよく知らねばならない。ただ勢いばかりを知って事をなそうとするものは、必ず計略に陥るだろう。
また、道理ばかりを知って事をなそうとするものは、ついには行きづまってしまうだろう。
いずれにしても「道理をよく知ってから進み、勢いをよく見きわめてから動く」(陳龍川の先主論の語)というのでなければ、理勢を知るものということはできない。 


六 事の上にて、機会といふべきもの二つあり。僥倖の機会あり。又設け起す機会あり。大丈夫僥倖を頼むべからず、大事に臨みては是非機会は引起さずばあるべからず。英雄のなしたる事を見るべし、設け起したる機会は、跡より見る時は僥倖のやうに見ゆ、気を付くべき所なり。

 

(訳)物事の上で、機会というべきものが二つある。
まぐれあたりの機会と、こちらからしかけた機会である。真の男児たるもの、決してまぐれあたりの幸いを頼んではならない。
大事に臨んでは、ぜひ機会というものを引きおこさねばならない。英雄といわれる者のなしたことをよく見るがよい。自分で引きおこした機会というものは、後(あと)から見るとまぐれあたりの幸いのようにみえる。これは気をつけねばならないことだ。


七 変事俄に到来し、動揺せず、従容其変に応ずるものは、事の起らざる今日に定まらずんばあるべからず。変起らば、只それに応ずるのみなり。古人曰、「大丈夫胸中灑(しゃ)々(しゃ)落(らく)落(らく)。如(ク)(二)光風霽月(ノ)(○一)任(ズ)(二)其(ノ)自然(ニ)(○一)何(ゾ)有(ラン)(二)一毫之動心(一)哉」(○明、王耐軒筆疇の語)と、是即ち標的なり。如(レ)此体のもの、何ぞ動揺すべきあらんや。

 

(訳)変わったできごとが急に起こった時、心を動揺させることなく、ゆったりと落ちついてそれに対応するという心構えは、まだまだ起こらないときに定まっていなければならない。
もし変わったことが起こった時は、ただそれに対処するだけである。
昔の人が言っている。「真の男児たるもの、心の中はいつもさっぱりして、雨上がりの風月のようにわだかまりがなく、自然に任せる。どうして、少しでも動揺するような心があろうか。」
(明の王耐軒筆疇の語)というのだが、これこそ生き方の目標である。このようなあり様であったら、どうして動揺などすることがあろうか。


(補遺)

一 誠はふかく厚からざれば、自ら支障も出来るべし、如何ぞ慈悲を以て失を取ることあるべき、決して無き筈なり。いづれ誠の受(じゅ)用(よう)においては、見ざる所において、戒慎し、聞かざる所において恐懼する所より手を下すべし。次第に其功も積みて、至誠の地位に至るべきなり。是を名づけて君子と云ふ。是非天地を証拠にいたすべし。是を以て事物に向へば、隠すものなかるべきなり。司馬温公曰「我胸中人に向うて云はれざるものなし」と、この処に至っては、天地を証拠といたすどころにてはこれなく、即ち天地と同体たるものなり、障(しょう)礙(がい)する慈悲は姑息にあらずや。嗚呼大丈夫姑息に陥るべけんや、何ぞ分別を持たんや。事の軽重難易を能く知らば、かたおちする気づかひ更にあるべからず。

 

(訳)誠というものは、深く厚くなければ自然にさしさわりも出て来るであろう。どうしてあわれみをかけて失敗するというようなことがあろうか。
決してないはずである。これから誠を身につけるためには、人の見ていないところで心を戒め、慎み、人の聞いていないところで恐れかしこむということから、まずはじめるべきである。そうすれば次第にその結果も表われて、至誠(この上もない真心)の境地に至ることができるであろう。
このような境地に至った人を君子というのである。
ぜひ、天地すなわち神をあかしにすべきである。こういう心でいろいろな事に対処したら、何も隠すようなことはないであろう。
司馬温公が言ったことがある。「自分の心の中は人に向かって言えないようなことは何もない」と。この境地に至っては天地をあかしとするどころではなく、天地と一体である。さしさわりの出て来る慈悲(情深い心)などというのは一時の間に合わせではないか。
ああ、真の男児たるもの、どうして一時の間に合わせなどに陥っていいものだろうか。どうして物の判断などに待つ必要があろうか。事がらの軽いとか重いとか、難しいとかやさしいとかをよく知っておれば、片手落ちなどする心配は決してないものだ。


二 剛胆なる処を学ばんと欲せば、先づ英雄の為す処の跡を観察し、且つ事業を翫味し、必ず身を以て其事に処し、安心の地を得べし、然らざれば、只英雄の資のみあって、為す所を知らざれば、真の英雄と云ふべからず。是故に英雄の其事に処する時、如何なる胆略かある、又我の事に処するところ、如何なる胆力あると試較し、其及ばざるもの足らざる処を研究励精すべし。思ひ設けざる事に当り、一点動揺せず、安然として其事を断ずるところにおいて、平日やしなふ処の胆力を長ずべし、常に夢(む)寐(び)の間において我胆を探討すべきなり。夢は念ひの発動する処なれば、聖人も深く心を用ふるなり。周公の徳を慕ふ一念旦暮止まず、夢に発する程に厚からんことを希ふなるべし。夢寐の中、我の胆動揺せざれば、必驚(きょう)懼(く)の夢を発すべからず。是を以て試み且つ明むべし。

 

(訳)肝っ玉の強くて太いことを学ぼうと思うならば、まず英雄と言われた人のなしたあとをよく調べ、その事業をよく味わって、必ず自分自身で事がらに対処し、心安らかな境地を得なければならない。
そうでなく、ただ英雄の資質だけあって、何もなすところがなければ、ほんとうの英雄ということはできない。
こういうわけで、英雄が、ある事がらに対処するとき、どのような大胆な策謀があったか、また自分が、ある事がらに対処するとき、どのような度胸があるか、ということを比較し、その及ばないところ、足りないところをよく勉強して励まなければならない。
思いがけない事に直面し、いささかの動揺もなく落ち着いてその事を処理することによって、かねて養うところの肝っ玉をますます強くすることができよう。いつも眠って夢をみている間において自分の肝っ玉を試してみるがよい。
夢というものは、かねての思いが出て来るものだから、聖人(知徳のもっとも優れた人)も深く心を用いられた。周公(周の文王の子で孔子の理想とした聖人)も徳を慕う思いの朝夕やむことなく、夢に出て来るくらい厚くなるよう願われたものであろう。
寝ている間に自分の心が動揺しなければ、決して驚いたり、恐れたりする夢をみることはないであろう。こういうことで自分の心を試し、かつまた明らかにするようすべきである。


三 若し英雄を誤らん事を懼れ、古人の語を取り是を証す。

 譎詐無(ク)(レ)方。術略横出(ス)。智者之能也。去(リテ)(二)詭詐(ヲ)(一)而示(スニ)(レ)之(ヲ)以(テシ)(二)大義(テ)(○一)置(イテ)(二)術略(ヲ)(一)而臨(ムニ)(レ)之(ニ)以(二)正兵(ヲ)(○一)

此(レ)英雄之事。而智者之所(レ)不(ル)(レ)能(ハ)(レ)為(ス)矣。(○陳龍川、諸葛孔明論の話)英雄の事業如(レ)此、豈奇妙不思議のものならんや。学んで而して至らざるべけんや。

 

(訳)もし英雄というものを思い誤ってはと恐れて昔の人の言葉をとってこれを示された。

 「相手を偽ること自由自在に、はかりごとをほしいままに出すというのは、知恵ある人のよくすることである。
偽りあざむくことをしないで、相手に筋のとおった道理を示し、はかりごとをしないで、正しい兵法をもって対応するというのは、これこそ英雄のすることであって、知恵ある人のとうていできることではない。」(陳龍川の諸葛孔明論の語)と。英雄のなすことは、大体このようなもので、どうして奇妙で不思議なものであろうか。大いに学んでこの境地にぜひ達したいものである。


                                                     山下憲男 転載